天災あさおんが描く「性転換」とは何か?

 おそらく、機能追加要望のリクエストを受ける前に書いておいた方が良いと思うので、この文章を書いておく。

 天災あさおんはTS(性転換)を扱ったゲームであることは間違いないが、TSが意味するところは、おそらく人によって千差万別であろう。そのため、天災あさおんが描こうとするTSとかけ離れたリクエストは、システムの制約上受け付けられない可能性もあり得る。(それ以前に、時間の制約から受け付けられない要素も多いことが予想される)

 では、天災あさおんが描こうとするTSとは何か。それは、男が女になるというデジタルな変化ではない。そうではなく、純粋な男と純粋な女の中間に横たわる流動的な曖昧領域こそが、天災あさおんの扱うTSの本質である。つまり性は2種類ではなく、連続した面として広がる領域として意識されるのである。

 だから、「わぁ、僕は女の子になっちゃった」という驚きや感動は天災あさおんのテーマではない。天災あさおんのテーマとは、絶対的に安定していたはずの主人公の「男」という性が、「朝起きたら女の体になっていた」という事件を通して揺らいでいくことにある。つまり、一度主人公の性が流動化してしまうと、男の体に戻っただけでは安定した男には戻れないのである。もしかしたら、男の服はもう着られない心を持ってしまったかもしれないし、女よりも男に愛される状況になじんでしまっているかもしれない。そのような状況で、主人公が自分のあるべき姿を模索することと、流動化した状況下でのみあり得る特異に過激なプレイこそが、天災おさおんの見所と言える。

 それゆえに、天災あさおんにおいて、処女喪失も筆降ろしも重要なイベントとは見なされていない。初めて女の体を持って驚く主人公も重要な描写ではない。女としての様々な行動を学ぶプロセスも重視されていない。そもそも、純粋な女になることは天災あさおんにおいては、いくつも存在する結末の1つでしかない。天災あさおんが提供するのは、女の体の中に男の心を持ち続ける「俺」や、心が女に染まってしまったのに体が男に戻ってしまった「俺」が引き起こすアブノーマルに割り切れないプレイの過激さである。

 ちなみに、TS以外のもう1つのサブテーマは連鎖イベントである。これは、主人公の行動が時間をおいて別の出来事を誘発するという「連鎖するイベント」である。そして、連鎖イベントはある程度意図的に主人公が計画することが可能となっている。たとえば、レイプされる状況を、レイプされると分かっていながらわざと引き起こすように行動することが可能となる。後でレイプされると分かっていながらその選択肢を選ぶという、ドキドキするような知的背徳感を味わっていただきたいと願う。


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Last-modified: 2008-01-30 (水) 02:10:35