性描写が短い必然性

 淫欲少女抄が決定的に既存の平均的なエロゲーと異なる点はいくつもありますが、その中で特に補足説明を要するのは、性描写の短さについてでしょう。実は、淫欲少女抄という作品が持つ構造的な必然性から、このゲームがプレイ可能なゲームであるためには、性描写を短くしなければならない必然性があるのです。

男の女の違い

 事実がどうであるかは別として、淫欲少女抄のゲームデザインのベースには、「男と女の性行為」は質的に全く異なっているという認識があります。男は基本的に「出したら終わり」ですが、「女は無限に行為を繰り返せる」という認識です。

排除された体力パラメータ

 このような認識が、このゲームから体力や性欲といったパラメータを排除しています。主人公は女の子であり、やりたいことを好きなだけ実行できるのであり、実行できる条件を制約する体力や性欲といったパラメータは意味を持たないとしました。この認識に到達するまで、かなりの苦悩を経験しました。パラメータがいろいろあった方がゲーム性も高くなるし、緊張感も出て盛り上がると考えたからです。しかし、それらは本質的に無くて良いパラメータであり、排除することでシステムがすっきりとシンプルになりました。

1日に何回でもやりまくるのが前提

 更に、主人公を時間に拘束されない立場として設定したこと、そして大半のコマンド選択が性行為に結びつくことから、主人公は1日の間に何回も性行為を繰り返すことになります。おそらく、「休憩」や「帰って寝る」を多用しなければ、1日に性行為を5回、10回と繰り返すことも珍しくはないでしょう。そして、そのようにして1日に何回も性行為を繰り返すことを前提として、シナリオもシステムも組まれています。

著しく低くなる性行為の価値

 このように考えると、このゲームにおける性行為そのものの価値がけして高くはないことが分かるでしょう。男の立場から行うエロゲーは、1回1回の性行為に渾身を込めて全力投球することになりますが、女の立場を設定した淫欲少女抄は違います。1回1回の性行為を軽くこなしつつ、回数とバリエーションを増やしていくことが目標となります。

もしも性描写が重かったら?

 逆に考えてみましょう。淫欲少女抄で、1回1回の性行為の価値を一般のエロゲー並みに重いものにしたらどうなるでしょうか? 作る方の身が持たないのは当然として、実はプレイする側も身が持ちません。たとえば、こってりした重い性描写1回ごとに「抜いて」プレイを行うプレイヤーがいるとすれば、淫欲少女抄のゲーム内の1日を終えるのに、何回抜かねばならないか分かりません。しかも、期間は60日もあります。これではエンディングにたどり着くまでに果ててしまうでしょう。また、ゲーム内の主人公キャラクターの視点から見ても、1回の性行為ごとに精根尽き果てるような行為を行っていては身体が持ちません。つまり性行為の価値は軽くしなければならないのです。

別の角度から言えば

 このゲームで表現しようとしている内容には、以下のようなことがあります。

 ここでポイントになるのは後者です。いとも簡単にできるということは、そこで行われる行為そのものが軽いことを意味します。性描写の短さは、性行為の「軽さ」を表現する手段であり、このような内容を表現する手段の1つである……と言うこともできるわけです。

1つの蛇足的補足

 とはいえ、特に街角のナンパのような中身が極めて希薄で長さも短いプレイが存在するのも事実です。このようなプレイは、単純にプレイのコレクションを行う題材として用意されたに過ぎないか、他の出来事の存在をカモフラージュするために用意されたものに過ぎません。たとえば、昼間の街角でぶらぶらしたときに声を掛けてくる者達の多くは、お金をくれるわけでもなく、何かの有益なフラグを立ててくれるわけでもない、実質的にほとんど意味のない者達ばかりです。はっきり言って、1回やれば、2回以上やる意味が全くないと言っても過言ではありません。それにも関わらず彼らが存在するのは、特定の条件を満たした場合のみ、特別な者が声を掛けてくる……というゲーム的な意外性を演出するためです。


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Last-modified: 2007-09-14 (金) 17:53:50